★狸のしっぽ★ (日本編) 2011年


NO.12 2011.1.11  <息をしてもいいんだよ>

私にとって一番興味があることは、「人間とはどのような存在なのか?」

色々な角度から、それを探求してゆくことで、心がより自由で楽しくなってい
くのが嬉しい。

去年は、カウンセリング講座に参加したこともあって、いくつもの気づきがあ
った。
その中でも、私の心の奥にあった、とんでもない思いこみの呪縛をとく言葉に
出会えたことは、大きな収穫だった。
それによって、私はやっとゼロのスタート地点に立てたような気がする。

私を解放してくれた言葉は、「息をしてもいいんだよ。」という言葉である。
その言葉こそが、私が言って欲しかった言葉だとは、思いもよらなかった。

どんなにプラス思考で、自分に素晴らしい言葉をかけつづけても、どんなに色々
な呼吸法を学んでも、「この世界は、安全なところではないので、息を殺してい
なければならない」という思いこみを解除しなければ、呼吸を改善することも、
心を開いて人と関わってゆくことも、うまくできなかったのではと思う。

「この世界では、ありのままの自分でいてはいけない。大人にとって都合がいい
ようにふるまわなければ、生きてはゆけない」ということを、幼い時に体験した
私は、無意識に息を殺してしまうようになったのだと思う。

そして、辛いことを感じないように、目をそらし心を閉ざすというパターンは、
子供の時に、無力な自分を守るために、身につけたくせである。

そういったことに気づいた時から、私は、自分の間違った思いこみを少しずつ
手放してはきていたのだけど、かすかな違和感がなくならなかった。

私が感じていた違和感は、なんだかグローブをはめたままこの世界に触れている
ような感じがする。というものだ。
そして、もっと直接にこの世界と触れあいたいと願っていた。
でも、どうすればいいのかがわからなかった。

去年の12月、ある本の中に書かれていた言葉が心にひびいてきた。
「悲しい時、自分がだめだと思える時、そのまま感じたとおりに感じていればい
い。そう感じている自分はそれでいい。とあるがままに受け入れること」

そして私の中から「感じることを自分にゆるすこと」という言葉が出てきた。

この言葉を自分に言ってあげた時は、涙がでてきた。

長年の謎が解けた嬉しさと、それをずっと探求し続けてきた自分へのいとおしさ。
色々な思いで胸がいっぱいになった。

今までは、考えずに感じることが大切だと頭で理解して、感じるというよりは頭
で分析をして、それを感じている状態だと錯覚していたような気もした。


そして思った。私と世界はつながっている。
私に起きていることは、世界に起きている。

今、この世界には、息を殺して生きている子供達、感じないようにして生きて
いる子供達がどれほどたくさんいるかしれない。

そして、それに気づかない大人たち。
(私がそうであったように、大人たちも同じ状態だから気づけないのだと思う。)

戦争や貧困、いじめや虐待。色々な理不尽なこと。
それらは私には関係のない、遠い世界のことではない。
その悲しみ、その苦しみは、私達の心の深いところでつながっている。

そして、私が心の深みを見つめ、私を癒し、私を愛する時、悲しみや苦しみに
対して深い祈りを捧げる時、それは世界へと伝わってゆくと思う。

こういうことを書くと、なんとなく深刻な感じがするかもしれないけれど、私は
のんきに楽しく笑いながらやってゆこうと思っている。

それは別な角度から自分を見つめる時、こういったすべてのことが、自分が予定
してきた学びであり、自分を知ってゆく旅を続けることで、新しい可能性の扉を
開いてゆくような、わくわくした気持ちにもなるからである。

私が願っているのは、生まれてきた命がそのまま健やかに育ち、その持てる可能
性を抑圧されることなく表現して生きるということだ。

生まれた時から、いくつもの間違った思いこみにしばられ続け、不自由になった
私達の心を解放したいということだ。

私は、人間とは、無限の可能性を秘めた素晴らしい存在であると信じている。
そして、普通に当たり前に、家族や友達と、楽しく暮らしながら、そのことを互
いに、認めあい喜びあえることを目指してゆこうと思う。


ということで、今私は「呼吸のレッスン」に取り組んでみようと思っている。

息はいのちのセンサーである。
呼吸の質は、どれだけ生命エネルギーを取り入れられるかということに関わって
くる。

ハーモニー体操で、体をゆるめて、息が豊かに入ってゆく体づくりをすること。
無意識でいると、息が浅かったり、何かをするたびに呼吸を止めたりしがちであ
ることに、気づくこと。

そこから始めて、自由で楽でゆったりとした呼吸を育ててゆこうと思う。


NO.13 2011.2.25 <私は、ありのままの自分を認め、愛します>

今までに、何度も読んで、たくさんの赤線がひいてある本がある。
その本をまた読んでいる。
以前読んだ時は、書かれていることがぴんとこなかった部分が、今読むと、ま
ったくそのとおりだなぁと、素直に受け止めることができるようになっている。

すべてがうまくゆく「やすらぎ」の言葉 ルイーズ・L・ヘイ PHP研究所
帯には、全世界3000万人の人生を変えた、現代のバイブルと、書かれている。

彼女がまず、一ヶ月間、繰り返し言ってみよう。その成果は驚くべきものだと
言っているのが、「私はありのままの自分を認めよう」という言葉だ。

以前は、まじめにやらなかったけど、今回あらためて、この言葉を唱えている。
そして、自分の心境に変化が現れてきた。この言葉の持つ力はスゴイと思う。

私自身の心が以前よりも、ゆるやかになって、より素直に、この言葉を唱える
ことができるようになったことも、その要因だと思う。
さらに、全世界で、たくさんの人達がこの言葉を唱えたことで、より自由で幸
せになれた喜びの想いが、目に見えないエネルギーとなって、この言葉を唱え
る私を、応援してくれているのだと思う。

この言葉は、まさに、一つの祈り言葉としての力を持っているのだと思う。

それにしても、ありのままの自分を認めるとは、難しいことだ。
私達の心の中には、なかなか手放せない、自己限定、自己否定、自己を恥じる
想い、自分を赦せない、受け入れられない想いがある。

そしてそれらの想いが、私達の体に病気を作り出していると、ルイーズは言う。

健康に生きるためにも、私達は、自分を赦し、自分を愛することを、学ぶ必要
があると、しみじみ思う。

この本の中に書かれていることで、自分や人の言動を赦せなくて、責めたくな
った時に、思い出すようにしている部分がある。

「わたしたちのこころの中には三歳の子どもがいる。そして、わたしたちはこ
の自分の中の子どもを責めたてて大半の時間を過ごしているのだ。」

確かに、「大人なのに、そんな言動は赦せない。」と、思うことも、それをさ
せたのは、私達の心の中に居る三歳の子どもの、寂しさや、恐れなのだと気づ
くことができれば、自分や人への関わり方も違ってくると思う。

私は、人に認めてもらいたくて、自分の知識をひけらかしたり、人を差別し、
低く見たりするということをやってしまう自分に気づいた時、そんな自分が
赦せなくて、自己嫌悪の想いで一杯になった。

でも、無意識にそんな言動をとってしまう私の心の中に、「どうせ私なんか」
と言って、膝をかかえてうずくまっている幼い傷ついた私が居ることに気づい
てから、その幼い私のことを気にかけ、思いやってゆこうと思った。

ありのままの、どうしようもない、欠点だらけの自分を嫌い、変えようとする
よりも、そうでしかない自分を受け容れ、その言い分に耳を傾け、そんな自分
を暖かく励まし、自分を否定する想いを、手放してゆこうと思った。

ところで、「ありのままの自分を認めよう」という言葉を唱えることをすすめ
ている、ルイーズは、ひどい暴力にさらされる子供時代を送った女性で、自分
を認めることも愛することもできなくて、癌になった人である。

そして、色々なことを学び、言葉の力で、癌を治すという体験をした人だ。

私達が信じていることが現実となる。私達が語る言葉が現実を創ってゆく。
ということで、私は、ルイーズにならって、自分を幸せにする言葉を、ノート
に書いて唱えている。

「私は、ありのままの自分を認め、愛します」
「私は、私にとって、愛にあふれた親になります」
「私は、自分を愛している。だから自分に美しいものと喜びを与えます」
「私は、人生を明るく気楽で喜びあふれるものにすることを選びます」

言葉は、単なる音ではなく、言葉には、いのちが宿っている。

暗いマイナスの言葉を発すれば、そういう現実をひきつけてしまう。
明るい言葉を語れば、そういう未来が実現する。

私達は、このシンプルな法則を、心して受け止めなければいけないと思う。
そして、意識して、明るい言葉を語ってゆこうと思う。

「絶対大丈夫。すべてうまくゆく♪」

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ありのままの自分を認めることができるようになってゆくのに比例して、あり
のままの他者を認めることができるようになってゆく。
自分のために唱えている言葉は、そのまま周りの人達の幸せにつながってゆく。

ありのままの自分を認めるということは、さまざまな体験を積むことで、学び
「成長してゆく自分のプロセス」を、肯定するという宣言だと思う。

傷つくことも、傷つけてしまうことも、必要なプロセスだったと、受け止める
ことで、怒りや恨み、罪悪感という余分な感情の泥沼にはまることなく、先に
進んで行けますように。と、思う。


NO.14 2011.3.13   <日本と、地震、津波の被害に遭われた人達のために、祈ります>

3月11日の午後、東北沿岸で、突然起こった、地震と津波。

今、私にできることの一つとして「祈り」がある。

12日は、週に一度の「気功」を学ぶ日だったので、仲間7人で、一緒に祈った。

どのように祈ったらいいのか。私は、心に浮かぶままの言葉を発していった。


日本が平和でありますように。日本の天命がまっとうされますように。
私達の天命がまっとうされますように。

地震、津波で亡くなられた方の天命がまっとうされますように。
怪我をされた方、被害にあわれた方、救援に当たっている方の天命がまっとう
されますように。

この言葉を心の中で何度もくりかえした。

それから、海と大地に祈りを捧げた。

このような災害の原因となっているのは、私達の間違った想念行為である。
私達が欲望のままに、海を汚し大地を荒らし、さらに互いに傷つけあい戦い続
けることによって発する、歪んだ想念波動が、自然界に影響を与え、大地を揺
るがしてゆくのである。

海さん、ありがとうございます。
私達は海さんによって生かされています。
私達の間違った想念行為をおゆるしください。
荒れ狂う大波をおしずめください。
海さんに、心から感謝いたします。

大地さんありがとうございます。
私達は大地さんによって生かされています。
大地さんを汚している愚かさをおゆるしください。
大地さんに心から感謝いたします。

さらに、水と食べ物にも感謝を捧げた。

水さんありがとうございます。
私達は水さんなしに生きてゆかれません。
水さんを汚している愚かさをお許しください。
水さんに心から感謝いたします。

食べ物さんありがとうございます。
私達は食べ物によって生かされています。
食べ物を粗末にしている愚かさをおゆるしください。
食べ物さんに、心から感謝いたします。

しばらく、感謝の祈りを捧げてから、さらに深い祈りを捧げた。

息を吸いながら、宇宙に充ちている生命エネルギーを、自分の中に満たし、
今それを必要としているところに送るイメージで、息を吐くことを続けた。

息を吸いながら、心の中で、「私は宇宙と一つです」と、想う。
息を止めて、「すべては必ず良くなる」と、想う。
息を吐きながら、「無限なる愛。無限なる癒し。」と心の中で唱えながら、
愛と癒しのエネルギーを、地震津波で苦しんでいる人達の元へ送ることを
イメージする。それらの人達が光に包まれていることをイメージする。

私達は、心を一つにして、しばらく、このように祈り続けて、すべてが平安で
ありますようにという想いで、祈りを終えた。

そして、これからも、テレビなどで、災害の様子を目にした時は、どんな言葉
でもいいので、心の中で祈りを捧げてゆこうと思った。

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大きな災害や、自分ではどうすることもできないことが起こった時に、私達の
弱さを思い知らされる。

でも、祈る時、私達は無力ではない。
目には見えないけれど、明るいエネルギーを送ることができる。

今回、友達と一緒に祈りながら、「私達の心に愛と思いやりが、湧きあがって
きますように。私達が、互いにつながり、助け合い、過酷な状況を乗り越えて
ゆけますように」という祈りが、わきあがってきた。

これからのことは、わからないけれど、「絶対大丈夫。すべてうまくゆく」と
いう想いをもち続けることで、そういう現実を創りだしてゆこうと思う。


NO.15 2011.4.1  <大震災が起きて、私の中で、変わったこと>

大震災の前と、それ以後で、私の意識や、日常の過ごし方に変化があった。

頭ではわかっているけど、実践できないできたことに、しっかり向き合うよう
にとうながされたように感じた。

たとえば、私は節電を意識するようになった。ムダな電気を使わないように、
電源を切ったり、設定温度を下げたりするようになった。
食事の時、しみじみと食べ物に感謝するようになった。当たり前の生活ができ
ていること、家族と一緒に居られることが、本当に有難いと思うようになった。

それから、朝食をしっかり食べるようになった。
これは、毎日、大震災で被災された皆さん、福島原発の作業にあたっている皆
さんに、応援のエネルギーを送るために、いつもの何倍も集中して祈るように
なったために、栄養の補給が必要になったからである。

それから、「絶対大丈夫。すべて良くなる。すべてうまくいく。」という言葉
を意識して言うようにもしている。
誰かを批判したり、心配だ、不安だ、という想いを持つよりは、明るい想いを
発信したほうがいいと思うからだ。

今まで知らなかった原発のことも、少し学んだ。今は、専門の方が叡智を結集
して、一番いいことがなされてゆくように祈るばかりである。
そして、被災されたかたへの支援が、速やかに、バランスよく、なされてゆく
ように、そういうことに携わっている方が、互いにつながり、素晴らしい力を
発揮されてゆくことを願っている。

被災された方の悲しみの深さ、心と体に受けた痛手の深さは、想像もつかない
けれど、これから先、何か自分にできることがあれば、それをやってゆこうと
思う。

今回の地震がきっかけで、私には、思ってもいなかった出来事が起こった。
それによって、私は、自分の心の奥にあった「恐れ」と向き合うことになった。
そして私に欠けていた「思いやり」の心を、自分の中から引き出して、もっと
心を開いて、人とつながってゆこうと決めた。

私の中には、「人の悲しみを自分の悲しみのように悲しむ」ということができ
ない私が居た。
怯えている幼い子供のような心があって、人のことを思いやるどころか、自分
を守ること、自分にとって都合のいいようにすることにばかり意識がいってし
まう傾向があった。
自分にとって都合の悪いことは、見ないようにして知ろうともしないで、誰か
がそれを引き受けてくれることに甘えてしまう傾向があった。

みんながそんな心でいたら、不調和な状態を招いてしまうのは当然だと思う。

私がそうなってしまったのは、過去に体験した恐れと悲しみのせいで、心を
閉ざして悲しみを感じないようにするクセがついていたせいだ。

でも、もうそんな自分は卒業しよう。私は、自分の中の子供の心に宣言する。

「恐れることは何もない。私には、どんなことも越えてゆける素晴らしい力が
ある。勇気を出して心を開いてゆこう。そして、すべてが自分とつながってい
ることを、深く感じてゆこう。」

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私達一人一人は、今回の大震災から何かを学び、意識を変えてゆくことを、
求められているのだと思う。

色々な情報に、一喜一憂するのではなく、視野を広げて、色々な考え方がある
ことを知った上で、自分はどう生きるかを選択してゆく時なのだと思う。

私達は、自分の弱さを知り、互いに支えあうことで、強くなれることを知り、
それぞれが持っている個性といのちの力の素晴らしさを、引き出し、現して
ゆく時なのだと思う。

私には、色々反省することもあったけれど、今までどおり、置かれた場で、
自分の得意なことを生かして、みんなが明るく楽しくなるようなことを行なっ
てゆこうと思う。


NO.16 2011.4.29     <問い続けること>

色々なことが次々と起こってくる。体調のこと。家族のこと。友達のこと。
「私は、どうすればいいのだろうか?」と、考え悩む。

そして、自分の心に問いかけてみる。
「私は、このことを通して、何を学べばいいのですか?」と。
すぐにではないけれど、じきにその答えがわかったりする。

その時々に、心を占める切実な問題に対して、どうしたらいいのかと問い続け、
自分なりに、その時々の私にとって精一杯の答を出し続けてきた。
そして私が変化し、成長してゆくのにしたがって、答えも変化してきた。
その時の自分が正しいと思ったことが、一つのプロセスであったことに気づき
続けてきた。

たとえば、子育てについて。
私は自分なりに考えて、一番良いと思ったことを、やってきた。
そして、ある時、それが間違いで、子供を抑圧し傷つけていたことに気づき、
後悔と罪悪感にさいなまれる日々が続いた。
そして、親から子へと伝えられてきた悲しい連鎖、人間の愚かさについて学んだ。
そして、その愚かな連鎖を断ち切り、人間が自由に平和に生きるにはどうすれば
いいのかを、学び続けている。

子供と自分の間にあった葛藤も、すべて必要なプロセス。あらかじめ予定してき
た人生のシナリオ。と、思うようになって、その時は大変な問題のように見えて
も、長い目でみれば、すべて良いこと、必要なことが起きているのだとわかった。

そして子供によって育てられた自分を思う時、子供が私を親として選んでくれた
ことに感謝の気持ちで一杯になる。

子育てをする上で、自分の力ではどうにもならない。どうしていいのかわからな
い。という状況になったことが何度かある。
そこを超えることができたのは、守護霊様のおかげだと思っている。

娘が中学生の時、私は初めてカウンセリングを受けた。
その時、カウンセラーの先生から、「自分で考えてどうにかしようとしてもうま
くいきません。それより娘さんの守護霊様にお願いしなさい。」と、言われた。

誰にでも、守護霊様がついていて、その人を守り導いてくださっていることは本
で読んで知っていた。でも、見えるわけではないので実感はなかった。

それでも、困った時に、助けてくださいとお願いすると、ふと良い考えを思いつ
いたり、状況が変化したりして助かってきた。
そういうことの積み重ねによって、守護霊様の存在を確信するようになっていっ
た。そして、なにか良いことがあったりすると、必ず、守護霊様に感謝するよう
になった。

守護霊様をどうとらえるのかは、人によって違うと思う。
私はこれまでの体験を通して、守護霊様のことをこんな風に思っている。

守護霊様は、私達のご先祖様で、悟られている方。
私達の生まれる前から、生きている間も、死んだ後も、ずっと、私達を見守り、
少しでも、苦しみが少なく、成長してゆけるように、導いてくださっている存在。
守護霊様は、私達の魂の親でもある。肉体の世界の親と違って、私達のすべてを
赦し無償の愛で愛してくださる存在である。
そして、守護霊様とは、私達の心の奥に存在する私達自身でもある。

私が問い続けてきた存在、そして答え続けてくださったのは、守護霊様である。

私が、守護霊様の存在を感じることができるのは、うれし涙によってである。

一つの気づきがあって、自分が変われた。嬉しいな。と思う時、守護霊様ありが
とうございます。と、声をかけると、胸がじーんとして涙がでてくる。その時、
親である守護霊様が子供の成長を喜んでくださっているんだ。と、感じる。


今年の春、とても不思議なことがあった。
我が家の庭の「はなみずき」の花が、とても美しく咲いたのだ。
去年までとはまるでちがって、花の色もうつくしく、花も大きく、枝一杯にあふ
れるように花を咲かせたのだ。

「私達を祝ってくださっているのですね。」と問いかけたら、涙があふれてきた。

私と娘を、限りなく愛し、見守り続けてくれた、それぞれの守護霊様に、感謝の
気持ちで一杯になる。

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2011年4月29日。今日は、特別にとてもおめでたい日です。

今日は、私の誕生日です。そして、私の娘の結婚式の日です。

私は、自分を祝福し、娘を祝福します。

そして、私達に御縁のあるすべての皆さんに心から感謝します。


NO.17 7.1   <こんな時だからこそ、明るく楽しく>

3月から回転性のめまいが頻繁におきるようになって、不便している。
何かを予定しても、その日の自分の体調が予測できないという状態だ。

症状がある時は、起きあがることができなくて、頭を動かさないようにして寝
ていなくてはならない。
少し治まってきても長くは起きていられないので、いつでも横になれるように
布団をしいたままだ。

めまいとは長いつきあいだけど、こんなに続くのは初めてのことだ。

だからといって、落ち込んだり、不安になったりするのは得策ではない。
余分なことをあれこれ考える替わりに、祈っていようと思う。

ただ祈っていると、じきに気がそれて何かを考えてしまうので、目標を決めた。
一つの祈り言葉を、7万回唱えることにして、カウントすることにしたのだ。

それによって、何もできずに寝ているしかない時間が、この世界に光をおくり
続ける豊かな時間になった。

とはいうものの、少しでも早く良くなるといいなと思う。

念のため、耳鼻科と神経内科に行って検査をしたけれど、脳に異常はなし。
耳石が原因なので、症状がある時には安静にしているようにとのこと。

今は、この状態を受け容れてゆくしかないと、腹をくくったら元気がでてきた。

こんな時だからこそ、新聞に載っていた面白そうな講座に心が動いたので、即、
申し込んだ。

6月から、月に二回、名古屋駅前の文化センターで、「落語」を学んで、3か月で
一席覚えて、演じられるようになるという講座だ。
講師は、立川平林(ひらりん)さんである。

私は、数年前から、落語に興味を持つようになり、テレビの落語番組をみたり、
機会があれば、寄席に行くようしていた。
でも自分がやってみようとは思っていなかった。

きっかけは、紙芝居だ。見てくださる人に楽しんでもらいたい。お話の世界を
共に楽しむ、共感の場をより豊かにしてゆくのに落語が役にたつと思ったのだ。

文章を間違えずに覚えるのは苦手なので、大丈夫かなと思ったけれど、落語の
場合は、話の内容さえ伝わるのなら、自分なりに自由に演じてもいい、という
のが、ありがたい。

テキストとして渡された「たらちね」の八五郎のセリフなどを、他の本なども
参考にして、自分の好きなように変えたりして、楽しんでいるうちに、セリフ
のやりとりを覚えてしまった。

のめり込みすいタイプだから、日常の気分も、すっかり長屋のおかみさんだ。
連れあいとの会話も、「おまえさん、食事の支度ができたよ」「おまえさん、
しっかり稼いできておくれよ」と言った風である。

教室では、浴衣を着て、机の上に座布団を置いて、そこに座って演じる。
いつの日か、友達や仲間の前で、さらには老人ホームでも、一席演じる自分の
姿を夢想しては、にんまりとする。

いいねぇ。平和だねぇ。

もともと私そのものが、落語の中に出てくる人間のようなところがある。
自分で自分を面白がって、どうしょうもないやつだと笑ってゆこう。

落語を楽しんでいると、日本人の楽天性、それゆえのしなやかな強さが感じら
れてくる。

いいねぇ。絶対大丈夫だ。日本の未来は明るい。

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今、気に入っている言葉。(芳村思風さんの、ひめくりカレンダーより)

「完璧をめざすな 不完全を楽しみ 成長し続ける」

私達には、どうしたって完璧を求めようとするクセがついている。
そして、思い通りにならない自分を責めてしまうクセがついている。
だから、病気になってしまう。

落語の中にでてくるのは、不完全で欠陥だらけの人間だ。
でも、そんな人間が愛おしくて、笑えてしまう。

こんな時だからこそ、私に落語は、ぴったりの出会いかもしれない。


NO.18 2011.8. 1 < 日本復興の祈り >

この一カ月の間に、自然に触れる機会が何度かあった。
その度に、自然からエネルギーをもらって、癒されるのを感じた。

高原のさわやかな空気。緑に包みこまれる森の中。  
力強く流れ落ちる滝の水。どこまでも広がる青空と白い雲。

私達を生かしてくれている、地球とすべてのいのちに対する感謝の想いがわい
てきた。
そして、当たり前のように感じていた水と空気が、今、汚されていることを強
く意識する。

いのちにとって危険な原発は、もう廃止にすること。
そのために負わなければならないリスクを受け容れようと思う。

足るを知り、知恵と工夫で、ささやかな楽しみの中に幸せを感じて生きること。
周りの人とつながって、お互いに助け合って、生きること。
過去の日本にあった色々ないいことを見直し、取り戻してゆこうと思う。

たとえば、江戸時代、縄文時代にも、とてもすぐれた文化、文明があった。
日本人が本来持っていた、強さや美しさや調和を、取り戻してゆこうと思う。

体に関して。
「身体感覚を取り戻す」 腰・ハラ文化の再生  斎藤 孝

この本を読むと、私達日本人が、しなやかでねばり強い体をしていたこと、
そしてそれが、心の在り方をも支えていたことがわかる。
戦争に負けて、欧米のものがなんでもいいと思い込まされて、私達が失って
いった、日本人の素晴らしさを、体のレベルから取り戻してゆくこと。
そして、「声の道場」の山村庸子さんが指摘されるような、日本人の呼吸の改善も、
大切なこと。
日本の復興を支える体のレベルでの取り組みを、私もやってゆこうと思う。

時代の方向性について。
「ハーモニック地球ヒーリング」 縄文宇宙意識で、世界のカルマ・トラウマ
を溶かしましょう  ジュード・カリヴァン 西園寺昌美 (ヒカルランド)

この本の中で印象に残った言葉が二つある。
一つは、「日本では、男女平等のバランスが、失われている」という指摘である。
カリヴァンさんは、「性別や富の不平等が社会の中にあるときに、その社会は
潜在的な能力を完全に発揮できない事態に陥ってしまいます」と、言っている。

私も、これからの日本の復興には、男性社会の頑なさを改善し、しなやかな女性
性のエネルギーを取り入れてゆくことも一つのポイントのような気がする。

もう一つは、科学者であり、ヒーラーでもある、カリヴァンさんが、
「意識はエネルギーであり、光であり、周波数である」として、
「たった一人の人の発する無償の愛の周波数のエネルギーのほうが、100人、
1000人の人が発する恐れとか報復といったマイナスの周波数のエネルギーよりも
はるかに大きいと思います。」と言っている言葉である。

さらにカリヴァンさんは、「祈るということは、一つの目的のためにエネルギー
が集約されて、周波数が上昇するということです。」「そして祈りというのは、
純粋な意識のあらわれですから、時間と空間を超越することもできます。」と
語っている。

私は、祈りが根底にある行為こそが、世界に調和や平和をもたらしてゆく。
日本の復興も、祈りでつながってゆく私達の心によってなされてゆくと思う。

ということで、私は、自分なりに、日本復興の祈りを捧げています。

森羅万象への感謝の祈り
海さん、ありがとうございます。
大地さん、ありがとうございます。
(植物、動物、水、空気、肉体、等、にも感謝しています。)そして、
原発さん今までのお役目ありがとうございます。

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命がまっとうされますように

大震災で被災された皆様の天命がまっとうされますように
福島原発の作業員の皆様の天命がまっとうされますように

私達みんなが、幸せを感じる世界を、創りだしてゆけますように

すべては必ず良くなる。絶対大丈夫。大成就。

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6月から始めた、月に二回の落語講座の中で、講師の立川平林さんに、指摘さ
れたことが、心に深く残っている。
それは、「自分にとってマイナスの状況が起きてきた時に、それを受け容れる
こと。そして、なんとかテンションを下げないでやってゆくこと」

平林さん自身も、震災後の避難所に行かれた時に、立ち尽くしてしまったこと。
ボランティアならともかく、ここで落語をやれるのかと心がゆらいだこと。
そして、そこから一歩踏み出して、落語をされた体験を、毎日新聞の記事の中で
語っている。私は、それを読ませていただいて、とても勇気づけられた。


NO.19 2011.9.1  < そのうちできるかも>

人間は、肉体の衣を脱いだ後も、生き続ける存在だと、私は思っている。

肉体は、器であり、そこに、肉体を作っている物質波動から、目には見えない
感情や思考の波動、精妙なエネルギー波動など、色々な波動が同時に重なりあ
って存在しているのが、人間だと思う。

たとえばテレビのチャンネルを変えることで、まるで違った番組が映し出され
るように、どの波動に意識をあわせるかによってチャンネルが変わり、ある時
は、仏のような優しさを現し、ある時は、他者を傷つける暴力的な状態を現わ
したりもする。

無意識でいると、肉体人間としての波動にのみ、チャンネルが合わされる。
肉体を持って生きるということは、自己保存の本能が伴うので、どうしても、
自分を守ろうとする。
そして有限な物質を、生きるために確保しようとすることから、争いになる。
そして、肉体生活に伴う怒りや不安、悲しみの思いがたまってゆく。
そこにのみ、チャンネルを合わしていると、希望のない状態になりそうだ。

人間が肉体だけの存在であるということを信じているうちは、平和にならない
と私は思う。

とはいうものの、私だって以前は、この肉体だけが自分だと信じていたし、未
だに、そう信じていたときのクセがぬけない。
つい肉体にまつわる幸せを求めてしまうし、健康なのが一番、という思いこみ
も、なかなか手放せない。

私は、見えない世界の波動にも、チャンネルをあわせることのできる「テレビ」
が早く発明されないかなぁと思う。

たとえば、亡くなった人の生年月日や、亡くなった日を入力してスイッチを入
れると、その人が今居るところが映しだされる。
生きている時に、悪いことをした人は、厳しい修行の場にいたりとか、そうい
うことがわかれば、悪いいことをする人も減ると思う。

テレビ電話みたいにして、亡くなった人と語りあうことができれば、色々参考
にもなるし、死というものへの恐れもなくなってくる。

そういうテレビが発明されれば、人間とはどういう存在なのかということが、
多くの人に理解されるようになり、生きることへの意識が変わってゆくと思う。
そんなテレビが、そのうちできるかも。と思う。


私達は、物質文明の限界を体験して、精神文明、霊文明の時代へと進化してゆ
くのだと思う。

そんなこと言われても、どうすればいいんだよぉ。と思うかもしれないけれど、
求められていることは、当たり前のことである。
すべてのいのちを大切にして、心のつながりを取り戻して、お互いに助け合っ
て生きてゆこう。ということである。

自分の本質は肉体ではなく、目には見えない波動だと感じる時も確かにある。

我を忘れて何かを夢中でやっている時は、自分で思っている以上の力が引き出
される。そして、自分の思いが現実を創ってゆくということが実感される。

頭をぽかーんとさせて、気功とか、愉気をしている時は、自分の体が気体にな
ったように感じる。自分が肉体の枠を超えて広がってゆくような感じがする。

祈っている時は、その場の空気が澄んできて、波動が細やかになるような気が
する。そして、その祈りが時空を超えて、相手に届くことを体験してきた。

でも、それはその時だけで、じきに普通の日常生活に戻って、肉体人間として、
無意識の思いこみ、自己限定に支配された状態にチャンネルを合わせてしまい
がちである。

この世界に充ちている、無限の宇宙エネルギーにチャンネルを合わせて、その
エネルギーをこの肉体という器に取り入れて、素晴らしい現実を創ってゆこう。

なーんて、夢のようなことだと思うかもしれないけれど、そのうちできるかも。
すでにそういう生き方をしている人が、たくさん居るし、増えていると思う。

宇宙のエネルギーにつながるには、自分だけ良ければいいという思いを手放し、
二元対立を超えて、世界全体が平和であることを目的として行動すること。

その時、私達は、無限のエネルギー、創造力にチャンネルが合わさる。
そして、想像を超えた素晴らしい展開、ラッキーなことが起こるのである。

絶対大丈夫。すべてうまくゆく。みんなでチャレンジしてゆこう。

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今、私が興味を持っていること、マイブームは、「落語」である。

三か月で一席覚えて、演じられるようになろうという「落語講座」が一区切り。
でも、もっと他の演目も覚えたい。ということで、引き続き学んでゆくことに。

いつか大須演芸場に出演。そのうちできるかも。(冗談ですよぉ。ふふふふふ)


NO.20 2011.11.2 <変化し続ける今を生きる>

色々なことがあって心がゆらいだ9月。気候の変動で体がゆらぎ続けたた10月。

自分の思い通りにはならない状況に、一喜一憂しないためには、自分の心の在
り方を変えてゆくしかない。
というより、意識の変容が必要だから、色々なことが起こるのではと思う。

私も、「起きてくることを受容して、執着やこだわりを手放すしかない。」と
しみじみ思うようになってきた。そして、その分、軽やかにもなってきた。

自分の心の変化をチェックするために、四年ほど前のノートを開いてみた。

「自己否定、自己嫌悪、罪悪感を手放す」

「人を一切、批判しない」

なーんだ。今と変わらないなぁ。と思うけれど、目標をノートに書いて、自分
に宣言したのだから、それをサポートしてくれる人達に出会い、色々な気づき
や体験があって、少しずつでも目標に近づいている。

結局、「愛と恐れしかないんだ。」「人の姿は自分の姿なんだ。」と思う。

たとえば人の評価が気になる。人によく思われたい気持ちがあると、人の目を
恐れるようになる。そして自分を守るために心を閉ざす。
人の評価が気になるのは、自分も常に人を評価しているからに他ならない。
自分がそれをやめてゆけば、人からどう思われているかなんて気にならなくな
る。人の目を恐れなくなり、心を開いてゆける。

だけど、自分が一番厳しく評価しているのは、自分自身のことだったりもする。
自分を責めさばくのをやめない限り、人にも同じことをしてしまう。

だって私達は、親や社会に、そんな風に育てられた。ということがある。
だから無意識のクセになっていて、簡単には変えられないのも事実だ。

でもそれでは、恐れに支配され、心を閉ざすしかない世界に生きることになる。
私は、もうそんな世界で生きたくはない。心を開いて人とつながってゆきたい。
だから、そう宣言して、そのための努力をし続けようと思う。

地球のことも、世界のことも、日本のことも、私達の社会のことも、困ったこ
とが次々に起きてきている。

今までの価値観、考え方、やり方ではいけないのは誰の目にもあきらかだ。

権力、権威がある人に依存してきたことが間違いだったと思う。
それを変えてゆくのは、私達一人一人の、決断と選択にかかっている。

でも、何からどう始めたらいいのか?

同じ目標、願いを持っている人達とつながってゆくこと。
自分の目標を宣言することで、必ず導かれてゆく。
そして、勇気を出して、一歩踏み出してゆこう。


私は20年前から祈り続けてきた言葉を、今日も唱え、宣言する。
この祈り言葉が、そういう世界へ私達を導いてくれることを確信して。

「世界人類が平和でありますように」

「私は、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛してゆきます」


そしてさらに宣言する。「絶対大丈夫。すべてうまくゆく。」

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変化し続ける今、地球も世界もぐらぐらしている。
私も、時々天井が回って、ぐらぐらして立っていられなくなる。

そんな時は、肚に意識を置いて、不安や心配がわきあがってきてしまう頭の
中を、祈り言葉で充たしてゆく。そして、あとは寝るしかない。

こんな日常を送りつつ、やりたいことは着実にやっている。
落語の話は二つ覚えた。あと一つ覚えたら、落語会を開こうと思う。

高座名も決めた。「楽々亭ぽん子」

今は、肚から出る声を育てるために、「がまの油」の口上を練習している。
調子よく口上を述べていると、愉快な元気が湧いてくるのがいい。ふふふ。


NO.21 2011.12.2 <ブレイクスルー(突破) >

11月22日から二泊三日で、岡部明美さんのワークショップに参加した。
深い体験と気づきがあって、自分の心境が変わったことが嬉しい。

キーワードは「ブレイクスルー」

自分で自分の心を縛っている思いこみの愚かさと、その思い込みによって自分
を壊してしまう危険さを、実感を持って感じ、腑に落ちる体験があった。

自分の中にある色々な思い込みに関しては、「それは本当ですか?」と、問う、
「ケイティワーク」(HPで紹介しています)などによって、チェックし、手放す
ということを、やってきてはいた。
でも、恐れの感情をともなう心の壁は、なかなか突破できずにいた。

私の中にあったそんな思い込みの一つは、「世間一般の常識を超えているよう
なことを言うと、怪しまれ、疎外され、傷つけられる。」というものだった。

しかし、それはもう過去のことだ。
今はもう、私達が今まで正しいと信じてきた常識や価値観が、この世界の不幸
を作りだしたことが誰の目にも明らかになり、新しい在り方が求められている。

そして、そのことに気づいた人から、自分の意識を変えてゆくことが、新しい
世界を創ってゆくことになるのだと思う。

私達の意識を変える。どのように? どういう方法で?

それは私が、この二十年間、求め続け、やり続けてきたことでもある。
そして、私にはいくつもの素晴らしい体験があって、それをみんなにもすすめ
たいと願っている。

しかし、人それぞれにやり方は違うし、その人の体験はその人にとって一番よ
くても、誰にでもいいわけではない。逆効果のことだってある。

情報であふれかえっている今、人に何かを伝えることに慎重にもなるけれど、
それを必要としている人、縁ある人に伝わりますようにと、願いを込めて、私
は自分にできる限りのことを伝えてゆこうと決めた。


「意識が物質を創りだす。思い込んだことが、そういう現実をつくりだす。」

「言葉には言ったり書いたりしたことを現実化する力がある。」 

「すべては波動でできている。あらゆる物質も、肉体も、感情も思考も。目に
は見えないさまざまなエネルギーも、世界は波動に充ちている」

「人間は、細やかさの違ういくつかの波動体が重なりあっている存在で、肉体
の波動は一番荒く、人間存在のほんの一部にすぎない。」

「祈りや瞑想、言霊の宣言、印などは、目に見えないエネルギーとつながり、
その波動によって自他の波動を浄化し、より精妙にしてゆくのに役立つ」

「感謝することで、その対象とつながり交流がなされる」

「今までは、特別な体験をした人にだけ可能なのだと思われてきていた奇跡的
なことも、本来誰にでも可能なことなのであり、現実にそれを実現する人達が
増えてきていて、それによってより実現しやすくなっている。」

「人間は本来、神とか大いなる存在などと呼ばれてきたものから分かれたもの
で、そうした存在と一つのものでもあり、無限の可能性を持っている。」

今の私にとって、こういう意識、考え方は、当然のことと思われる。
そして、そういう意識(思い込み)を持って、この世界の出来事をとらえる時、
「絶対大丈夫。すべてうまくゆく。」と、思えるのである。


今、私の周りには、こういうことを語りあえる仲間や友達もいれば、そんな話
は聞きたくもないという友達もいる。家族にしたってそうだ。
そして、誰もが、色々な問題をかかえていたりする。

私にだって問題はなくならない。いいことばかりが起こるわけではない。
でも、意識が変われば、同じ状況に置かれても、不安や恐怖にまきこまれるの
ではなく、それを受容できるようになり、心の中が平和でいられるのだ。

私が願っているのは、一人でも多くの人達の心の中が自由で平和になることだ。

私達は、同じ一つの「いのち」から分かれた、兄弟姉妹だ。
私達は、心の深いところでみんな一つにつながっている。
私達は、宇宙や大いなる存在とも一つにつながっている。

今ここ、すでにそうなのだ。
そして、誰もが心の奥では、すべてを知っているのだ。
すべてをすでに持っているのだ。

意識(思い込み)を変えることで、それをどれだけ受容できるかに比例して、
あらゆることを可能にする無限なるエネルギーが流れてくる。
心の内なる愛の泉が湧き出してくる。

となれば、それをさまたげている思い込みの壁を突破してゆきたいよね。
できるだけ痛み少なく、できるだけすみやかに。

深刻にならずに、歌いながら、笑いながらね。

私がホームページで歌ってる「龍の涙」が、今回のテーマにはおすすめかな。

そして、なんてったって、「絶対大丈夫!」この歌はいいよぉ。

日本中に流行らせたいなぁ。ふふふ。

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私は、結婚したときから、一行日記をつけている。特別なことがない日は空白
になっているけれど、その時の自分にとって大切と思われるメモが残っている。

今日、ちょっと調べたいことがあって、なにげなく、1983年3月のところに目が
いった。

そこに書かれてあったことは、「○○(息子の名前)が、うんこ教える。」
思わず笑ってしまった。その時の私にとってそれは最大の関心事だったのだ。

思えば遠くに来たものである。今の私は地球と人類の未来のことを考えている。

なーんて言っても、それは私の一部であって、今の私の関心事は「落語」だ。

今月の21日に、友達10人ほどの前で、「楽々亭ぽん子」の初高座がある。
友達は、お寺さんが来た時に使う立派な座布団を用意してあると言う。

「出し物は何にしよう? 稽古をしなくては!」と思う今日この頃である。